暗黒星雲

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カテゴリ:塔( 119 )


2017年 03月 16日

本歌取り その5

『塔』誌2016年12月号の三井修選歌欄に選歌掲載して頂いた6首のうち次の1首は塚本邦雄の歌の本歌取りのつもりで詠んだ歌である。

愛戀にもとより遠き青年の脈拍はかる看護師のゆび/新井蜜

塚本邦雄の本歌は次の通り。
愛戀にもとより遠き春昏れて華燭の鐘の盗まるる唄/塚本邦雄

この本歌も塚本邦雄の歌にしては一般にあまり知られていない歌なのかも知れない。その意味では私が本歌取りのつもりで詠んだ上の歌についても塚本邦雄の表現を剽窃したと言われても仕方がないのかも知れない。

本歌取りのつもりだったということを書いておきたい。


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by TrentonRowley | 2017-03-16 16:27 | | Comments(0)
2017年 03月 14日

本歌取り その4

『塔』誌2016年11月号の永田淳選歌欄に選歌掲載して頂いた7首のうち次の1首は塚本邦雄の歌の本歌取りである。

われは繭を夕陽に透かす転移せし膵臓癌の影は見えねど/新井蜜

塚本邦雄の本歌は次の通り。
われは繭を夕陽に透かす騎兵らのうつくしきイギリスは見えねど/塚本邦雄


この塚本邦雄の本歌も例えば「革命歌作詞家に・・・」とか「馬を洗はば・・・」などの超有名な歌に比べると周知度は低いのだろう。

塚本邦雄の表現を剽窃したと受け止められるのではないかという私の後ろめたい気持ちを少しでも緩和したくて、遅まきながらこの歌は本歌取りの歌だと表明して置きたい。
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by trentonrowley | 2017-03-14 19:49 | | Comments(0)
2017年 03月 14日

本歌取り その3

『塔』誌2016年9月号の前田康子選歌欄に選歌掲載して頂いた6首のうち次の1首は高安国世の歌の本歌取りである。

日のうちに映畫見に來し日曜の街に自由は見つからざりき/新井蜜

高安国世の本歌は次の通り。
日のうちに映畫見に來し道すがら既にけうとくなりて立ち止る/高安国世

高安国世(1913-1984)は、加藤治郎が『短歌のドア 現代短歌入門』で示している本歌取りをしても良い近・現代歌人の例には含まれないが、塔短歌会の創設者である大歌人であり、特に塔短歌会内部では知らない人はいないと言っていいだろう。しかし、私が本歌取りの対象としたこの高安の本歌が「周知の秀歌」と言えるかというと自信がない。秀歌ではあるだろうが周知の歌とは言えないかも知れない。

このように考え、剽窃と受け止められるのではないかという私の後ろめたさを少しでも緩和したくて、遅まきながらこの歌は本歌取りの歌だと表明して置きたい。


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by TrentonRowley | 2017-03-14 19:19 | | Comments(0)
2017年 03月 14日

本歌取り その2

『塔』誌2016年8月号の池本一郎選歌欄に選歌掲載して頂いた6首のうち次の3首は塚本邦雄の歌の本歌取りである。

(1)夷狄てふ言葉ぞありし涼やかなハートのジャックの眼はうすみどり/新井蜜
(2)二月の驟雨硝子打つとき流れ去ると思つたのだがきみへの疑念/新井蜜
(3)縞蛇の縞目みだれて野菊咲く原発サイトを匍【は】ひもとほろふ/新井蜜

塚本の本歌はそれぞれ次の通り。
(1)夷狄てふ言葉ぞありし辣韮【らつきよう】に重石【おもし】せむ刹那にひらめけり/塚本邦雄
(2)二月の驟雨硝子打つとき靑年の浴後やさしき煙色【けむいろ】のひげ /塚本邦雄
(3)縞蛇の縞目みだれてわたくしとわれのあひだの音信杜絶/塚本邦雄

上の本歌取りの歌のうち、
(1)夷狄てふ言葉ぞありし涼やかなハートのジャックの眼はうすみどり/新井蜜
については『塔』誌2016年10月号の「八月号 池本一郎選歌欄評」で吉岡みれいさんに取り上げて頂いたが、吉岡さんの評では本歌取りのことは触れられていない。塚本邦雄という大歌人の歌ではあるがこの本歌はあまり知られていなくて、加藤治郎が『短歌のドア 現代短歌入門』で書いている「周知の秀歌」に該当しないのかも知れない。

そのように思うと、「本歌取り その1」で書いたように、私が密かに塚本邦雄の表現を流用しているというような後ろめたい気持ちになってくる。そこで、遅まきながらこれらの歌は本歌取りの歌だと表明して置きたい。


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by TrentonRowley | 2017-03-14 16:43 | | Comments(0)
2017年 03月 12日

本歌取り その1

『塔』誌2016年6月号の花山多佳子選歌欄に次の4首を選歌掲載して頂いたがこの4首は全て塚本邦雄の歌の本歌取りのつもりで詠んだ歌だ。

(1)樂人を逐つた市長が欠けた月見上げて帰るふるさとの村/新井蜜
(2)死して二人の戀始まると 移ろへる薄紫の桐の花影/新井蜜
(3)ピレネー山脈戀ひて家出づ製本のわづかに乱るる地図を手にして/新井蜜
(4)一穗の錐買ひしかば容喙は御免だぜなどと言つてみるのだ/新井蜜

塚本の本歌はそれぞれ次の通り。
(1)樂人を逐つた市長がつぎの夏、蛇つれてかへるーー市民のために/塚本邦雄
(2)死して二人の戀始まると晴天の庭の叺の灰いろの鹽/塚本邦雄
(3)ピレネー山脈戀ひて家出づ心臟のあたりわづかに紅き影曳き/塚本邦雄
(4)一穗の錐買ひしかばかたへなる一莖のやはらかき妹/塚本邦雄

半年以上前に『塔』誌に掲載された歌についてなぜ今頃書いているかというと、次のような理由による。

まず、本歌取りの歌を詠むについては加藤治郎著『短歌のドア 現代短歌入門』のガイドを参考にした。加藤は藤原定家の考えを踏まえて次の三つのガイドを提示している。
(1)周知の秀歌から本歌取りを行うこと。
誰の歌なら取っても良いかについて、加藤は例として、与謝野晶子、正岡子規、北原白秋、斎藤茂吉、前川佐美雄を挙げ、更に、塚本邦雄、岡井隆、馬場あき子、俵万智くらいまで対象を広げてもいいのではないかと述べている。
(2)本歌取りの詞は、二句程度までとすること。
(3)本歌を踏まえて新たな詩想を創出すること。

この三つのガイドについて、(2)は従うことが可能だ。(3)は私の本歌取りの歌を読んでくれる読者の判断を待つしかない。私が気になっているのは(1)だ。当初は加藤が例に挙げた塚本邦雄の歌だから問題ないと思っていた。しかし、上記の四首が花山多佳子選歌欄に掲載されてから、毎月塔の歌会に出席しているが、塔の会員の誰からもこれらの歌が塚本邦雄の歌の本歌取りだろうという指摘はなかった。時間が経つにつれて不安になってきた。それは、もしこれらの歌が塚本邦雄の本歌取りだと気づかれずに、私が100%創作した歌だとして読まれているとしたら、私にそのような意図はなくとも、結果として私が塚本邦雄の表現を剽窃したことと同じことにならないだろうか?という疑問が湧いてきたのだ。

そのような理由から、遅まきながらこれらの歌は本歌取りの歌だと表明しておこうというのが、この文章を書いた趣旨だ。
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by trentonrowley | 2017-03-12 23:03 | | Comments(0)
2017年 03月 11日

幸せな人

今日参加した歌会で私の歌を評した人に「このような歌を詠める人は幸せな人だ」と言われた。その場では特に感じなかったのだが、家に帰ってから考えているうちにだんだん不愉快になって来た。
その評をした人に悪意はなかったと信じているが、それでも「幸せな人」と言われると「苦労知らずの能天気な奴」と言われたように感じてしまうのだ。
歌会で自分の歌が否定されるのは当たり前であるし、欠点を指摘されるのはありがたいことと思うが、歌ではなくて歌を詠んだ私の人格を攻撃されたような気がしていい気分ではない。
自分が評をする立場になった時には気をつけなければいけないと思う。

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by TrentonRowley | 2017-03-11 22:10 | | Comments(0)
2012年 01月 21日

俺の・好きな・塔の歌 2012年1月号 その2

化(ばけ)学の村上先生の弁当に毎日羊羹ひと切れありぬ (松塚みぎわ)
夫置きて病院出づる一瞬の何ならんこの解放感は (青井せつ子)
薄紅の芙蓉の花を送り来たり題名も本文も何も付けずに (梶原さい子)
今も岸を目指してをるかくらぐらと潮さかのぼる片身の魚は (梶原さい子)
まはりながらせりあがり来る口紅の匂ひが胸の底に溜まりぬ (清水良郎)
亡き父の句集に貼りしポスト・イットわれのこだはり風は剥がしぬ (山下れいこ)
ペンギンと豚は不仲のままと言う好きな温度が違いすぎると (常願路哲満)
思い切り握ってみると外科医師の手はゴム鞠のようでふわふわ (山崎一幸)
傘忘れたと君は電車を降りてゆく我の本音は言えないままに (柴田匡志)
ややこしい女だねと二度言われ小春日の沼にかに歩きする (丸本ふみ)
刈り入れに立ち込む沼田にんまりと素足を包む泥の温もり (外輪清孝)
桜島を遠くに置きて颱風のかぜに乗りつつよぎりゆく烏 (徳重龍弥)
子のいない部屋に来てひとり走らせるトーマス長い坂道のぼれ (徳長しのぶ)
これは怒りこれはかなしみと分けてゆく夕暮れオレンジを切りながら (大森静佳)
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by trentonrowley | 2012-01-21 17:44 | | Comments(0)
2012年 01月 20日

俺の・好きな・塔の歌 2012年1月号 その1

港の見える丘公園の秋曇り薔薇の向かうに飛行船とぶ (花山多佳子)
コスモスの咲く畦道にながめをり稲束をはざに架けゆく人を (小林幸子)
節曲ぐるとふほどのことにはあらざれど仕事ならねばせぬことのあり (小林信也)
気づいたら周りが見えなくなっていた棘がささって初めて気付く (中山靖子)
雨戸うつ野分の夜の一階の電話するこゑやうやう止みつ (篠野京)
満月とそのあくる夜の月のことどちらからあなたに話さうか (小林真代)
ダージリンの葉がひらくまで日の当たる外の芝生に目を遣りてをり (髙野岬)
腕にふとなにかがふれてすぎしまま雨のふるまま夏ははてたり (千村久仁子)
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by trentonrowley | 2012-01-20 08:35 | | Comments(0)
2012年 01月 18日

2012年1月号掲載 <真中朋久選>

妹は抱きとるといふ埋めつくしひともくさきも途切れることなし
病床でロシアの夢を見たといふ母の意識の底を怪しむ
山越えて歩く途中で引き返し住所録持ち電車で向かふ
なめくぢが干からびてゐる玄関のタイルに水を流して洗ふ
書きながら沈みゆきたりいまさらに飛蝗の群れと向き合つてゐる
いつも食ふ大盛りを食ふ昼過ぎて繋ぎ止めてる無邪気な顔で
ゆるやかなため息ついておさまりて台所にはかなへびの棲む
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by trentonrowley | 2012-01-18 22:12 | | Comments(0)
2011年 12月 14日

塔2011年12月号掲載 <山下洋選>

かさかさの淡き光に目が覚めて女のやうな雨落つる見ゆ
雨粒の味を見るため口をあけ空をあふぐがまだ降つて来ぬ
二人とも生きてゆけないあなたとの世界を消した私に石を
あの時に通りかかつたコスモスのもうずつと先遠くへ行かう
子狐が頭の中を駆け回るおとうと狐とじやれ合ひながら
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by trentonrowley | 2011-12-14 22:44 | | Comments(0)