暗黒星雲

trenton.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:葦舟( 17 )


2011年 03月 03日

『葦舟』を読む その17

らつきよの壜にらつきよ慎ましく立ちてあり三十粒ばかりがぎうぎうとして (河野裕子)

「慎ましく立ちてあり」というところがポイントなのであろう。このような擬
人表現があると、らつきよに託して現代人の生を暗喩として詠んだものであろ
うと読みたくなる。
[PR]

by trentonrowley | 2011-03-03 14:45 | 葦舟
2011年 01月 25日

『葦舟』を読む その16

はきはきとはいと言ふなり誰にももう会ひたくない日の電話口では (河野裕子)

「誰にももう会ひたくない日」というのが裕子さんにもあるのだろうか。
体調が悪いということだろうか。

「はきはきとはいと言ふなり」は早く決着をつけてしまいたいということのよ
うに思える。

「はきはきとはい」の「は」の音の連なりが目立つ。「言ふなり」は文語だが
その他の部分は口語と言っていいのだろう。全体に自然な感じで、文語と口語
の混合の不自然さは感じられない。

「もう」は私は旧かなでは「まう」と表記していたが、「もう」と「まう」とどちらでもいいらしい。
[PR]

by trentonrowley | 2011-01-25 17:00 | 葦舟
2011年 01月 19日

『葦舟』を読む その15

山寺に崩えゆく墓の縁には虫取りなでしこ浮くがに咲けり (河野裕子)
   *ルビ 崩えゆく=くえゆく、縁=へつり

14番目の歌に続いて故郷のお墓の歌だと思う。

「虫取りなでしこ」はネットで調べると
 www.hana300.com/musito.html
次のような記載があった。
・ヨーロッパ原産。
・ピンク色のきれいな5弁花。
・食虫植物ではないが、
葉っぱが出ている節の下あたりで、
粘着性の分泌物を出すため虫がよくつく。
ここから”虫取り”の名がついた。
消化、吸収はしない。

お墓の縁に虫取りなでしこが咲いているという穏やかな牧歌的な情景だが
「浮くがに」はどういうことだろう?「浮くように」ということだと思うが、
「浮くように咲く」とはどういう状態だろうか。長い茎の先に花がつくので
こういう表現をしたのかも知れない。

「先祖の魂が花の形となって浮いているように見える」という読みはあまりに
深読み過ぎるだろうか?
[PR]

by trentonrowley | 2011-01-19 14:42 | 葦舟
2011年 01月 13日

『葦舟』を読む その14

古くなりひびの入りたる墓たちが針金で縛られひと固まりに (河野裕子)

久しぶりに訪れた故郷の墓の様子だろうか。

「墓たちが針金で縛られひと固まりに」ということであるから、墓がまともに
立っている状態ではなく、いくつかの墓が一箇所に集められ針金で縛られてい
る状態、つまり捨てられている状態(場所は墓地の中なのであろうが)だとい
うことと思われる。

「針金で縛られ」がいかにも無残な感じだ。墓のお守りをする人もいなくなっ
て、見捨てられた墓なのであろう。<私>(=作者と思われるが)の祖先の墓
のように思われ、歌には情景しか述べられていないが、<私>も見捨てた者の
一員であり慙愧の念に駆られているように感じられる。
[PR]

by trentonrowley | 2011-01-13 15:58 | 葦舟
2011年 01月 12日

『葦舟』を読む その13

病室にセザンヌかけて眺めゐし十八の頃を君は知らざり (河野裕子)

この歌は素直に詠われており、特別な修辞は使われていないように思う。「セ
ザンヌ」でセザンヌの絵を意味するというのは、換喩と呼ばれる喩であるが、
一般的に歌の世界でなくてもよく使われる表現で、特別なことではない。

どのような病気か分からないが、セザンヌの絵を病室にかけていたということ
から、短期間の入院ではないように思われる。セザンヌが好きだった十八の頃
はどんな少女だったのだろうか?

親密なふたりであっても相手を完全に理解するということは不可能であると思
う。別の人間であるのだから。ましてや、出会う以前のことはお互いに知らな
いのであり、いくら言葉で説明しても分からないだろうと思う。
[PR]

by trentonrowley | 2011-01-12 16:44 | 葦舟
2011年 01月 11日

『葦舟』を詠む その12

浮くやうに見えてをれども綿虫の透翅必死に上下運動す (河野裕子)
         *ルビ 透翅=すきばね

綿虫とは雪虫ともよばれる虫のことのようだ。白い綿状の分泌物を体につけて
いるアブラムシらしい。綿が風に飛ばされて何もしなくても浮いているように
見えるけれども、実際は透明な翅を必死に動かして飛んでいるのだという歌意
だろう。

事実の発見の歌とも読めるが、どうしても自分の状態の比喩のように思えてし
まう。他人からは特に努力をせずとも天性のもので活躍できていると思われが
ちだが、見えないところで必死の努力をしているのだよ、というような。
[PR]

by trentonrowley | 2011-01-11 16:44 | 葦舟
2011年 01月 07日

『葦舟』を読む その11

使ひ手がなければ箒は不安なり壁に掛れりげんなりとして (河野裕子)

まず「使ひ手がなければ」に注意を引かれた。これが「いま使われていなけれ
ば」という意味なら特別には感じないが、「使う人がなければ」という意味
(「使ひ手」からはそのように取れる)だとすると、特別な意味が暗示されて
いるように感じる。「使ひ手がどこかに行ってしまって取り残されてしまった
ので」と言っているように思われるのだ。

箒を擬人化して「不安なり」や「げんなりとして」と表現されている。箒が
しゃんとしていず、だらっとしている状態を描写しているものと思うが、問
題はなぜ「不安なり」や「げんなりとして」と表現したかということだろう。
それは、読む側としては当然に、作者の心境が反映した結果だと判断したく
なる。ただ単に箒のだらっとした状態を描写したものではなく、背後に何か
あると感じさせるものがある。
[PR]

by trentonrowley | 2011-01-07 13:37 | 葦舟
2011年 01月 06日

『葦舟』を読む その10

この椅子にあなたが座りてをらぬゆゑ両足乗せて夕日の中よ (河野裕子)

椅子に座り、近くにあるいつもは「あなた」が座る椅子に両足を乗せ夕日を浴
びているという状況だろう。

「あなた」が座る椅子だけれども「あなた」がいないときには足を乗せるのに
使うのだということを意思表示しているように感じられる。固定観念にとらわ
れず自在にふるまうのだという覚悟を示しているように感じられるのだ。

両足を伸ばして夕日の中にいるというゆったりした状況が感じられるのである
が、一方で「あなた」の不在が強く感じられもする。「あなた」が一緒のとき
には近くに置かれた二つの椅子に座り二人でゆったりした時間をすごすのだろ
う。そのような二人の時間の貴重さを発話主体が感じているように思われる。
[PR]

by trentonrowley | 2011-01-06 10:19 | 葦舟
2010年 12月 27日

『葦舟』を読む その9

酢の色に昏れゆく谷間ひたひたと心は足を急かせてやまず (河野裕子)

どうして「心は足を急かせて」いるのだろうか?

子供の頃のことを思い出した。日の短くなった季節に家から少し離れたところ
で遊んでいて、夢中で遊んでいるうちにいつの間にかあたりが暗くなってしまっ
た。もう夕食の時間になっているかもしれない。帰りが遅くなるとしかられる
などと思いながら走って家に帰った。そのときの気持ちがこのような感じだっ
た。

この歌の場合はそんなことではないのだろう。「酢」とか「ひたひたと」から
なにか不吉な予感のようなものが感じられる。

「酢の色」は少量であれば無色透明のように思えるが、非常に薄い黄色、ある
いは若干黄緑色がかっているかもしれない。「酢の色に昏れゆく谷間」という
と、夕方の辺りの色の描写であるとともに、「酢」という酸っぱい感じ、更に
言えば、物が腐敗したときの酸っぱい臭いの感じが裏に張り付いているように
感じる。

下句「ひたひたと心は足を急かせてやまず」について、作中主体が実際に歩い
ていて心が足を急かせる状態と読んだが、「心は足を急かせてやまず」を暗喩
と取ることもできると思う。実際に歩いているわけではないが、(何かの連絡
を待っているときのような)気が急く状態をこのように表現したとも考えられ
る。たぶん、「心は」とあるためにそのように思わせるのだと思う。
[PR]

by trentonrowley | 2010-12-27 10:38 | 葦舟
2010年 12月 21日

『葦舟』を読む その8

あなたには何から話さうタカサブラウ月が出るにはまだ少しある (河野裕子)

7首目に続いてタカサブラウが出てきた。7首目では高三郎と漢字表記だった
が、この歌ではカタカナ表記だ。カタカナのほうが植物名という感じがする。

タカサブラウの花に屈みこんで何かを話そうということだろう。下句から夕方
であることが分かる。花に向かって話すということは尋常なことではないが、
稀有なことでもないと思う。実際に声を出さなくても話しかけることはできる
だろう。

「何から話さう」から色々なことが感じられる。今の状態に至った単純ではな
い経緯を話そうとしているように感じられる。話す順序を間違えると正しく伝
わらないような話に思える。時間のかかる話となるだろう。一回だけでは済ま
ないかも知れない。タカサブラウは日頃一緒にいないので、事情を分かってい
ないのだけれどタカサブラウに分かってもらいたい話のようだ。そのような
少々込み入った話であるが、聴いてもらい分かってほしいという間柄のようで
ある。他の存在に話を聴いてもらいたいという作中主体の気持ちが現されてい
るように思う。
[PR]

by trentonrowley | 2010-12-21 11:24 | 葦舟