暗黒星雲

trenton.exblog.jp
ブログトップ

<   2015年 01月 ( 14 )   > この月の画像一覧


2015年 01月 20日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (14)

☆透きとおる水を穂先にふくませて画用紙に書くあなたのなまえ/田村龍平『塔』2014年11月号

この歌の「あなた」は具体的に誰かは分からないが、妻、恋人、片想いの相手など作者が大切に思っている人だろう。

今まで何回か述べてきたが、一首の歌としては「あなた」に語りかけている歌ではないにも拘わらず、作者あるいは作者の分身としての作中主体は「あなた」という代名詞を使っている。(「あなた」は、対話する相手を指示する人称である二人称の代名詞である。)

このような筆者が☆型と呼んだ歌の「あなた」あるいは「きみ」の使い方はなぜ可能なのだろうか?読者はなぜ不思議に思わず当たり前のように鑑賞できるのだろうか?(筆者は不思議に思っているのだが。)

このことについて、(1)☆型の歌の表現を可能にする短歌の特性と(2)散文でもこのようなことがあり得るのかどうかを考えてみたい。

(1)☆型の歌の表現を可能にする短歌の特性
☆型の歌は、「あなた」に語りかける形式でもなく、読者に語りかける形式でもない。作者あるいは作中主体の詠嘆を独白の形で述べる形式を取っている。
読者が歌を読むときには、読者は歌の中に入り込み、作中主体の立場に立つのだ。作中主体が読者に乗り移って(あるいは読者が作中主体に乗り移ると言うべきか?)読者は作中主体として「あなた」や「きみ」に視線を向け意識することになる。その上で作者の詠嘆を追体験するのだ。
このように短歌の読者は、作中主体の立場に身を置いて、言わば作中主体を演じることにより、一首の歌を鑑賞するのだ。

このような短歌の特性のため、上に引用した田村龍平の歌のような筆者が☆型と呼んでいる「あなた」や「きみ」の使い方が可能になるのだと考える。

(2)散文でもこのようなことがあり得るのかどうかについては稿を改めたい。

(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-20 22:35 | Comments(0)
2015年 01月 20日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (13)

骨格と内臓きみとぼくと猫今は宇宙に守られている/東直子「効能」『短歌研究』2015年1月号

この歌は「効能」と題された一連のなかの一首であるが、どう解釈したらよいのか良く分からない。特に「骨格と内臓」の部分が他の部分とどう繋がるのかが良く分からない。

「きみと僕と猫」については以下のように解釈した。
「僕」については作者が自分のことを「僕」と呼んでいるのではないと思う。最近の歌には女性作者が自分または自分の分身を「僕」と呼んでいる歌が見られるが、そのような「僕」ではないと思うのだ。同じように、誰か具体的な相手を「きみ」と呼んでいるのでもないと思う。「きみと僕と猫」で、ある特性を持った人たちを表わしているように思う。自分たちを「きみ」や「僕」と呼ぶある層の人たちで、猫を飼っている、あるいは猫が好きと思われる。「きみと僕と猫」の彼ら独自の世界を持っており、もちろんコンビニに買い物にも行けば電車にも乗るのだが、自分たちの世界の外は生存のための環境ではあってもそれ以上の意味を持たない。言わば透明なカプセルに囲われて生きているのだ。広大な宇宙に浮かぶ島宇宙のように。
「宇宙に守られている」とは以上のようなことを意味しているように思う。
問題は「骨格と内臓」であるが、人間の肉体を意味しているのかも知れない。上に述べたような「きみと僕と猫」も単に精神的に存在している訳ではなく、肉体を持ち食べて寝て排泄し生殖する生物としての存在であることを示しているのだろう。
「今は」と言っているのは、そのような生物としての存在であるが故に、いずれ死を迎えることになることを暗示しているのだろう。

このように解釈すると、「きみ」は作者あるいは作者の分身にとっての「きみ」ではなく、「僕」も作者あるいは作者の分身のことではないのであるから、この歌の「きみ」を、今まで引用し検討してきた歌と同じように分類するのは意味がないと思う。今までは「きみ」や「あなた」を次の三種に分類してきた。
(1)名詞型、(2)中間型(☆型)、(3)代名詞型(語りかけ型)
この東直子の歌の「きみ」はこれら三種のどれにも該当せず、(4)特異型とでも言うべき新たな種類と考えるのが適切であると思う。

(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-20 22:34 | Comments(0)
2015年 01月 18日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (12)

☆カニクリームソースのパスタの渡り蟹あなたの皿からわたしを睨む/西澤孝子 日本経済新聞「歌壇」穂村弘選2015年1月18日

この歌の「あなた」と「わたし」の関係はどういうものか分からないが、夫婦あるいは親しい男女と考えて良いだろう。多分ふたりはレストランの同じテーブルにつきパスタを食べているのだろう。

この歌は私が☆型と考えるものの典型的な例に思える。
この歌は「あなた」に語りかけている形式を取っていないにも拘わらず辞書では代名詞とされている「あなた」が使われている。広辞苑では「目上や同輩である相手を敬って指す語。現今は敬意の度合が減じている」という項と「夫婦間で妻が夫を呼ぶ語」という項がある。
この歌でも作者の「あなた」に対する意識と歌全体の表出の方向はズレている。

まなうらに君はひかりを閉じ込めるちかいほうたるとおいほうたる/江戸雪『声を聞きたい』

前回引用した江戸雪のこの歌の「君」は名詞であろうと考えた。上の西澤孝子の歌の「あなた」を代名詞と考えたこととの違いはどこにあるだろうか。
その違いの一つは、辞書に「あなた」には代名詞の項目があるが名詞としての項目がないのに対して、「君」には代名詞としての項目に加え名詞としての項目があり、その名詞の説明に江戸雪の歌の「君」が当てはまると考えたことである。
そのことよりも大きく違うと考えるのは、江戸雪の歌の「君」は誰のことなのか分からず、蛍を一緒に見ている場面と取れるがその状況が明確でない。作者と「君」との空間的・時間的・立場的な位置関係が曖昧である。これに対し西澤孝子のこの歌では作者と「あなた」の位置関係は明確であり、「あなた」と呼ぶことのできる状況にある。

(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-18 12:14 | Comments(0)
2015年 01月 17日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (11)

まなうらに君はひかりを閉じ込めるちかいほうたるとおいほうたる/江戸雪『声を聞きたい』


渡辺松男の『きなげつの魚』から引用した歌の「きみ」や「君」は作者の亡くなった妻のことであることはほぼ確実である。
それに対し、この江戸雪の歌の「君」は誰のことなのか分からない。前後の歌やあとがきを見てもそれらしいヒントは見つけられない。漢字で「君」と表記していることから考えると、夫、恋人あるいは息子など親しい男性のように思える。この歌は「鳥取」と題した一連の歌の中の一首なので、鳥取に関連した人なのかも知れない。

この歌を読むと嫉妬に近い感情が湧いてくる。嫉妬というとあまりに生な感じがするので言い換えれば、作者と「君」の世界から読者である私がはじき出されているように感じるのだ。女性の作者の歌にしばしば作者の夫が登場することがあるが、そのような歌を読んでもこの歌を読んだときのような感情は湧いてこない。それは登場する夫が作者と暮らしを共にしている人、共同生活者として現れてくるからだと思う。それに対しこの歌の作者と君の関係は精神的な結びつきのように感じられるのである。

この歌は「君」に呼びかけ、語りかけている歌とは思えない。上に述べたことを併せて考えると、この歌の「君」は樋口一葉の歌の「君」と同じく、「女から男を、親しみをこめて言う語」としての名詞であると思われる。
(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-17 22:31 | Comments(0)
2015年 01月 16日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (10)

☆世にたつたいちまいの空ひるがへり黒あげはみゆ君なきわれに/渡辺松男『きなげつの魚』
☆いまははやなにもなき地図みづうみを雪のふる日に君の摘みてし

上の二首の「君」は前回引用した二首の「きみ」と同様に作者の亡くなった妻のことだろう。(以下、前回のコメントと重複するところがあるが、再度コメントする。)

前回の二首と同じく、作者の心の中の「君(=亡き妻)」に対する意識の方向性と歌としての自己表出の方向性にはズレがあると感じる。別の言い方をすると歌としてねじれがあるように感じるのだ。
そのためか、代名詞であるはずの「君」が名詞化し、「私にとって特別な人・私の大事な人」というような特別の意味を持っているように思えるのである。
それはあたかも「わたしの彼」とか「ぼくの彼女」というときの「彼」や「彼女」が三人称代名詞ではなく「愛人・恋人」という意味を持った名詞であるのと同様なことのように感じられるのである。

このように代名詞の「きみ」「君」「あなた」が特別な意味を持って名詞化するように感じられるのは、短歌に特有のことであり日記や小説のような散文では起こらないことと思えるのであるが、そのことの検証は後日の課題として取っておくことにする。
(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-16 22:43 | Comments(0)
2015年 01月 16日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (9)

☆あしあとのなんまん億を解放しなきがらとなりしきみのあなうら/渡辺松男『きなげつの魚』
☆わがいまのすべてはきみの死後なればみる花々にかげひとつなし

あとがきによれば作者は妻を亡くしたようだ。これらの歌の「きみ」は妻のことだろう。
これらの歌に☆をつけているのは、妻を「きみ」と呼んでいるのだから、代名詞なのだろうが、これらの歌は妻に語りかけ、呼びかけている歌ではないように思えるのだ。これらの歌の「きみ」を妻と置き換えても、少なくとも意味の上では元の歌と同じように解釈することができる。(歌の価値としては同じと言えないが。)

作者の心のなかでは妻に向かって「きみ」と呼んでいるのではあるが、一首の歌としては妻への語りかけの形を取らず、作者の心に浮かんだこと、作者の感慨を独白の形で読者に向けて発表している作品だと思えるのだ。
読者側から考えると、読者自身のことが「きみ」と呼ばれているわけではなく、読者にとっては第三者である作者の妻が「きみ」と呼ばれているのだ。そのため、「きみ」は代名詞ではなく、名詞化しているように感じるのだ。
このような作者の「きみ」へと向かう視線と、歌として読者に向けられる意識とがずれているように感じるため、これらの歌を中間型(☆型)と考えるのだ。

これらの歌は、亡き妻に向かって語りかけている歌だという読み方もあるかと思うが、私には次のような明確な語りかけの歌とは異なるように思えるのだ。

あの時の声はあなたにかえします風にゆれいるエノコログサよ/江戸雪『声を聞きたい』

このように考えてくると、そもそも「きみ」や「あなた」が代名詞かどうかという問題の立て方が間違っていたのかも知れないと思えてくる。同じく代名詞として使われているが、一首の中での使われ方、位置付けが異なっていると考えたほうが良いのかも知れない。
(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-16 11:34 | Comments(0)
2015年 01月 15日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (8)

あの時の声はあなたにかえします風にゆれいるエノコログサよ/江戸雪『声を聞きたい』

これはエノコログサに「あなた」と呼びかけているのだろう。そうであるなら「あなた」は代名詞だ。この歌は代名詞型(呼びかけ型)である。

「あの時の声」というのはなんだろうか?「あなたにかえす」と言っているから、あの時、エノコログサのものだった声(エノコログサから来た声)を自分の口から発したということか?その声を本来の持ち主であるエノコログサにかえしますと言っているのだろう。

(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-15 22:39 | Comments(0)
2015年 01月 15日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (7)

今まで「きみ」・「あなた」が使われている歌を何首か見てきた。大まかに分類すると次の三つの型に分類できると思う。
(1)名詞型、(2)中間型(これを☆型と呼びたい)、(3)代名詞型(呼びかけ型)

前に引用した歌は次のように分類できる。
(1)名詞型
君とわがたゞ身二つのかくれざと隠れ果つべき里もなきかな/樋口一葉「恋歌九首」ちくま日本文学全集
(2)中間型(☆型)
☆たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき/近藤芳美『早春歌』
☆きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり/永田和宏『メビウスの地平』
☆逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと/河野裕子『森のやうに獣のやうに』
(河野裕子のこの歌の「おまへ」を代名詞と考えたが、もう少し考えてみたい。)
(3)代名詞型(呼びかけ型)
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか/河野裕子『森のやうに獣のやうに』
モーニングコートの試着をしてくださいあなたは新婦の父親だから/伊藤京子『木母』

私はこの中で中間型(☆型)に興味があり、もう少し深く考えてみたいのだが、当面は例歌を検討して行きたい。

(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-15 22:21 | Comments(0)
2015年 01月 15日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (6)

モーニングコートの試着をしてくださいあなたは新婦の父親だから/伊藤京子『木母』

新婦の母親である作者が新婦の父親である夫に語りかけている形の会話体の歌だ。

この歌も実際にこの歌の形で語りかけたとは思えないが、形式は語りかけている形であるので、この歌の「あなた」は代名詞である。
広辞苑には「目上や同輩である相手を敬って指す語」「夫婦間で妻が夫を呼ぶ語」とある。この歌の場合、状況としては妻が夫を呼んでいるのであるが、前者の一般的な「相手を敬って指す語」と解釈したくなるような表現である。夫と妻の関係が形式的でよそよそしく感じられるのである。(実際はどうなのかは全く知らないのだが。)

(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-15 16:09 | Comments(0)
2015年 01月 14日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (5)

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか/河野裕子『森のやうに獣のやうに』

口語会話体で書かれたこの歌は「君」に呼びかけている歌であり、この「君」は二人称代名詞であろう。

実際にこの歌を「君」に詠いかけたかどうかは知らない。全く有り得ないとは言えないにしても、そのような可能性は極めて低いだろう。修辞の一つとして、君に呼びかける形を取った短歌作品だろう。


逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと/河野裕子『森のやうに獣のやうに』

この歌は回想の歌であり、この歌そのもので「おまへ」に呼びかけ、詠いかけているものではないが、この歌の「おまへ」は二人称代名詞であると思われる。回想しているあの夏の頃には、<私>は自分のことを「おれ」と呼んでおり、相手の少年を「おまへ」と呼んでいたのだ。
おまへとおれを次のようにそれぞれ括弧で括ったものとして読むとそのことがはっきりすると思う。
<逆立ちして「おまへ」が「おれ」を眺めてた …>

(続く)
[PR]

by trentonrowley | 2015-01-14 16:09 | Comments(0)