2015年 06月 16日

おとなしく贖罪できるはずがない昼の光に冷笑浮かべ #tanka

おとなしく贖罪できるはずがない昼の光に冷笑浮かべ
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# by trentonrowley | 2015-06-16 20:56
2015年 06月 16日

だんごむし未明に茹でて浸み出したわたしの孤独誇りに思ひ #tanka

だんごむし未明に茹でて浸み出したわたしの孤独誇りに思ひ
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# by trentonrowley | 2015-06-16 10:03
2015年 06月 15日

合歓の木の誘惑にまたさそはれて善を言ひえずガムをかみしむ #tanka

合歓の木の誘惑にまたさそはれて善を言ひえずガムをかみしむ
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# by trentonrowley | 2015-06-15 22:37
2015年 06月 15日

音のない満月の夜この星にあなたはゐない探しに来たが #tanka

音のない満月の夜この星にあなたはゐない探しに来たが
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# by trentonrowley | 2015-06-15 19:51
2015年 05月 27日

おおやまれんげ

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# by trentonrowley | 2015-05-27 20:46
2015年 04月 10日

午前二時するどい声にめざめればきみは眠つたままに微笑む

午前二時するどい声にめざめればきみは眠つたままに微笑む
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# by trentonrowley | 2015-04-10 20:43
2015年 04月 09日

ぼくはまだ持つてはゐないのであるが愛人を持つ夢を今朝見た

ぼくはまだ持つてはゐないのであるが愛人を持つ夢を今朝見た
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# by trentonrowley | 2015-04-09 23:13
2015年 04月 08日

たんぽぽは気づかなかつたぼくがまだ産むことできぬ体であること

たんぽぽは気づかなかつたぼくがまだ産むことできぬ体であること
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# by trentonrowley | 2015-04-08 20:25
2015年 04月 07日

アポロンが嫉妬してゐるただむきのきよき少女よわがまへをゆくな

アポロンが嫉妬してゐるただむきのきよき少女よわがまへをゆくな
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# by trentonrowley | 2015-04-07 18:39
2015年 04月 06日

ぬかるみを歩くわたしの足を取り愛を剥がさうとする白い手

ぬかるみを歩くわたしの足を取り愛を剥がさうとする白い手
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# by trentonrowley | 2015-04-06 13:59
2015年 04月 05日

病院の待合室の白百合をビンに挿した絵日々に萎れる

病院の待合室の白百合をビンに挿した絵日々に萎れる
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# by trentonrowley | 2015-04-05 14:42
2015年 04月 04日

ホルン吹きあなたは鹿を呼び寄せて世界の終りみんなに告げる

ホルン吹きあなたは鹿を呼び寄せて世界の終りみんなに告げる
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# by trentonrowley | 2015-04-04 20:33
2015年 04月 03日

感情が抱かれた海を疾駆してでもその果てのどこにもゐない

感情が抱かれた海を疾駆してでもその果てのどこにもゐない
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# by trentonrowley | 2015-04-03 15:17
2015年 04月 02日

投げ出されあなたの脚は鈍色のもやにつつまれとけだしてくる

投げ出されあなたの脚は鈍色のもやにつつまれとけだしてくる
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# by trentonrowley | 2015-04-02 22:38
2015年 04月 01日

昼の月見上げて春の日を歩くわたしをおほふ虚ろな言葉

昼の月見上げて春の日を歩くわたしをおほふ虚ろな言葉
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# by trentonrowley | 2015-04-01 22:15
2015年 03月 31日

悪霊よ羊を殺せ我はまだやることがあるそちらにゆけぬ

悪霊よ羊を殺せ我はまだやることがあるそちらにゆけぬ
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# by trentonrowley | 2015-03-31 21:09
2015年 03月 30日

鏡、さう僕らの生の痕跡を保存しておくための装置さ

鏡、さう僕らの生の痕跡を保存しておくための装置さ
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# by trentonrowley | 2015-03-30 16:18
2015年 03月 29日

枯れ枝で幹をたたいて打診するため息をついてもいいよねつて

枯れ枝で幹をたたいて打診するため息をついてもいいよねつて
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# by trentonrowley | 2015-03-29 22:36
2015年 03月 28日

三日月のひかりのやうに降つてくる焼き捨てられた証文の灰

三日月のひかりのやうに降つてくる焼き捨てられた証文の灰
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# by trentonrowley | 2015-03-28 23:22
2015年 03月 27日

三面鏡ひらいたままに抱きよせる庭にしんしん雪ふりつもり

三面鏡ひらいたままに抱きよせる庭にしんしん雪ふりつもり
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# by trentonrowley | 2015-03-27 14:26
2015年 03月 26日

信号が青に変はつて春の雨さがしに行つた三月の犬

信号が青に変はつて春の雨さがしに行つた三月の犬
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# by trentonrowley | 2015-03-26 23:36
2015年 03月 12日

世紀末の花火

世紀末の花火

ホットコーヒーでよろしいですか?はい。シールはお集めですか?はい。メールアドレスはお持ちですか?はい。書簡恐怖症の私であるが、電子メールは書く。いまどき”電子”メールなどと言う人はいないだろうが。彼から今朝こんな電子メールをもらった。

心許なく暮らしていたある朝、明るい朱色の夏がかき消えた。一角獣がその窓に現れ、小部屋のぐるりの棚に飾られた招き猫たちを攫って行った。後ろ姿がガラス扉から見えたが、ひかりが眩しすぎて一秒ほどしか見ていられなかった。幼児の目に焼きつけられた一角獣の後ろ姿は、私の人生の節目ごとに現れるだろう。朝の日差しを浴びた浴室には夕べの死の気配が残っている。貸家の扉の向こうには巻き貝の死骸がおびただしく横たわっている。縁側に潮風が吹いてきて、砂ぼこりがべったりと積もった。昼なのに山陰になる縁側は、うす暗く日向ぼっこをするには適さない。

お返事を書こう書こうと思っているうちに時間が経ってしまいました。もう二十一世紀ですね。世紀末には一緒に花火を見たかったです。あの日、本当はわたし酔っていなかったんです。送って貰いたかったんですが、三森さんに送ってやると言われ断るわけにも行かなかったんです。

御堂筋の銀杏の葉がきれいだったね。絵画館前を二人で歩いたことを思い出す。あれはもう前世紀のことなんだね。律法を信じる者が心から真実を生きたという口実を得るために裁くのはやめなければいけない。まだ栄光を受けたことのない者たちが群衆をなしているではないか。しかし彼らは決してみずから罪を犯したものだとは思わないだろう。宝物殿の真ん中に立っていたあの方を知らないと言ったのは彼らではなかったか?

垢抜けのしないふさ付きの
帽子をかぶった三十あまりの女
運動会に誂え物のきものを着ていく女
そのような女たちが縄にくくられて
千人余りも連なっている
目の前に猫の死骸が
転がっている校庭を
歩いていく

校舎の窓から石を
投げつけた
ことを思い出せ
祭りの夜に喧嘩に手出しし
殴られた
ことを思い出せ
そろいの浴衣を
着て提灯をさげ黙って
夜店を見ていたかった
投げ出された脚に触れたかった
タクシーの後部座席で手を
握りたかった
向こう側に行ってしまう前に
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# by trentonrowley | 2015-03-12 17:09
2015年 03月 10日

紫陽花は不安で夜が眠れない

紫陽花は不安で夜が眠れない

うーん、そうですねえ。上から下まで何を考えているのか分からないことばかりです。空には雲があり一瞬のうちに暗くなることがある。雨が降ることもあれば降らないことだってあるのです。先ほどは大粒の雨がパラパラと降りましたがすぐに止んでしまいました。ケニヤには行ったことがありませんが行ってみたいと思っています。コーヒー農園を見てみたい。ブラジルのコーヒー農園は見たことがあります。赤い実がなっていた。あなたには悪いことをしたと思っています。もう二十五になりました。昔なら中年増と呼ばれたそうですが、今はまだ若い部類と言っていいでしょうね。65歳以上の人が全体の25%を超えたそうです。

金曜日に行くって木曜からなのですか?土曜までなのですか?まだ決められないの?あなたは指示されないと何もしないのですね。暑くなってきたのだからルーチンの仕事だけでなく、何が必要かを考えてやって下さいね。私はらっきょうを買って来ました。扇風機が必要ですね。虫も出て来たし、薬も必要ですね。氷の世界の新しいCDが欲しい。雪の女王が足踏みすると凍ってしまうあの町はどこにあるのでしょうか?探しに行きたいわ。昔、網走で流氷をみたことがあります。子どもの頃には近所の山の北側の田んぼに水を張ってスケートリンクを作っていました。そこで滑るのが楽しみだった。休憩時には石炭ストーブを焚いた小屋のなかでお汁粉を食べました。おいしかった。

統語論としては正しいが意味の繋がりが不思議な文というものはあり得ます。そういうものを目指すのも一つの手かも知れない。

かれがどんなにまさっているとしても、このわたしを創り異なるものとしたのはすなわち母である。空飛ぶ鳥よ、そのみじめさの心のなかにわたしが死んでいないということを忘れないで欲しい。もしも私が闇のなかの心の思いを告げたなら、私の母はそれを虚構だとするだろう。堅い信仰を持ち、心のなかに神がいる母に、もし追放されたとしてもわたしは海山を越え歩き続けるだろう。わたしの進むべき道にどんな危険が横たわっていようとも旅人たちが、かりに殺されようとも、まだ真理には到達していないのだから。母は身籠る前に罪に陥り再び古い幻想を抱き始めたのだ。船員たちを慰めなければならないという使命感に突き動かされ、波に攫われる危険を冒したのだ。幼少の頃、死と審判の夢にうなされ眠れなかった経験は、いま信者でもないわたしの心の奥底の闇の部分に沈んでいる。

昨日、月を見ていたらかぐや姫の話を思い出しました。かぐや姫は月の世界で罪を犯したために地球に流されたのだそうですね。どんな罪を犯したのか興味があります。不倫のようなことかもしれませんね。綺麗な人だったらしいから。綺麗な人が不倫をするとは限りませんが。月の世界にも不倫などということがあるのでしょうか?一夫一婦制なのでしょうか?そもそも男性と女性の二つの性があるのかどうかも不明です。一つの性しかないのかも知れないし、三つの性があるかも知れない。男、女、おなむとか。おなむはいま考えついた第三の性の名前です。

土曜日の昼は軽飛行機が飛び隣からかさかさという音が流れてくる。鵯と鶯が鳴き交わし車は走り、玄関の金具が鳴っている。そうだ京都へ行こう。階段を上がるのがこわい。前を歩く人が倒れてきそうだ。高天の辻の出口から外にでると、都鳥の嘴のように赤い口紅。あれは誰だったのか?配送車のバックする音が聞こえる。店のなかでは店員が先客の応対をしている。こちらの顔を見ようともしない。書類を持って行ってから一月以上経つのにまだ書類を手許に置いているというのはどういうことだろうか?やる気がないのか?それとも物忘れが激しくなったということか?どんどん走る。どんどん走っていくとラーメン屋がある。混むときには行列を作るほどに人気がある店らしいが、今日は空いている。クーラーから雫がぽたりぽたりと落ちてくる。女に生まれたことを悔やんでみても始まらない。もう元には戻れないのだから。ゲームは始まってしまったのだ。

空華という言葉を聞きました。実体のないものを実体があるように見てしまうことらしいです。綺麗な言葉ですね。ずっと以前から、グライダーのように音もなく空を飛ぶものが、燃えながら何機も飛んでいるところがときどき頭に浮かびます。夢のようなもので実体があるものとは思わないのだけれど、この燃えている飛行機も空華と呼ばれるものかもしれません。
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# by trentonrowley | 2015-03-10 14:37
2015年 03月 10日

ピンクの看護師

ピンクの看護師

柱時計が十時を打つ。雨は止んだようだ。あれは冷蔵庫の音か?電車に乗るにはどこの道を行けば良いのだろうか?このまま進んで良いのだろうか?この電車はどこへ行くのか?乗り換えなくてはいけないのに、どこで乗り換えたらいいのかが分からない。大洗の海岸に向かって進むと波の音が聞こえてきた。堤防は見えるが海は見えない。右手の林に日が差して明るい。小学校の夏休みに海に行ったことを思い出した。波がとても怖かった。これは何のにおいだろうか?

病院の待合室には大勢の人が待っている。黙って待っているので問診の声が良く聞こえる。夜中も一時間に一回トイレに起きるのです。ムーンウォークの患者が看護師と立ち話している。看護師は白衣の下にピンクのズボンをはいている。森本さまあ。森本さーん。ピンクのエプロンの看護師が呼んでいる。車椅子の男を押していく女はじっと前を見ている。106-66ですね。血圧いいですよ。大丈夫です。痛いとこないですか?痛いとこは言って下さいね。ピアノ曲が流れている待合室で本を読む。

父親の自転車の後ろの荷台に乗っている。夕方だ。町から家に帰る。骨接ぎからの帰り。肩を脱臼したのだ。眼をつむると後ろに進んでいる。耳がボワーンとして何かにくるまれたような感じだ。奇妙な感覚で頭がおかしくなってしまったのかと思う。眼を開けると自転車は前に進んでいる。耳の奇妙な感じもなくなる。奇妙な感覚を味わいたくて、もう一度眼をつむると、自転車はまた後ろに進み始める。耳に聞こえる音は、こもった音で、誰かが言い訳をむにゃむにゃ言っているように聞こえる。

ゆっくりと話をしたいでしょうから12時においで下さい。月曜と水曜の午前中だけなんです。そうですねえ。あなたは目指すところが高いようです。低いところにいる自分を受け入れてもいいのではないでしょうか?プールは身体を冷やさないと思いますよ。身体を動かすのはいいことです。過敏すぎるのでしょうねえ。身体の反応を過敏に受け止めるから辛いのです。月曜日、あれからどうされました?
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# by trentonrowley | 2015-03-10 14:34
2015年 01月 20日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (14)

☆透きとおる水を穂先にふくませて画用紙に書くあなたのなまえ/田村龍平『塔』2014年11月号

この歌の「あなた」は具体的に誰かは分からないが、妻、恋人、片想いの相手など作者が大切に思っている人だろう。

今まで何回か述べてきたが、一首の歌としては「あなた」に語りかけている歌ではないにも拘わらず、作者あるいは作者の分身としての作中主体は「あなた」という代名詞を使っている。(「あなた」は、対話する相手を指示する人称である二人称の代名詞である。)

このような筆者が☆型と呼んだ歌の「あなた」あるいは「きみ」の使い方はなぜ可能なのだろうか?読者はなぜ不思議に思わず当たり前のように鑑賞できるのだろうか?(筆者は不思議に思っているのだが。)

このことについて、(1)☆型の歌の表現を可能にする短歌の特性と(2)散文でもこのようなことがあり得るのかどうかを考えてみたい。

(1)☆型の歌の表現を可能にする短歌の特性
☆型の歌は、「あなた」に語りかける形式でもなく、読者に語りかける形式でもない。作者あるいは作中主体の詠嘆を独白の形で述べる形式を取っている。
読者が歌を読むときには、読者は歌の中に入り込み、作中主体の立場に立つのだ。作中主体が読者に乗り移って(あるいは読者が作中主体に乗り移ると言うべきか?)読者は作中主体として「あなた」や「きみ」に視線を向け意識することになる。その上で作者の詠嘆を追体験するのだ。
このように短歌の読者は、作中主体の立場に身を置いて、言わば作中主体を演じることにより、一首の歌を鑑賞するのだ。

このような短歌の特性のため、上に引用した田村龍平の歌のような筆者が☆型と呼んでいる「あなた」や「きみ」の使い方が可能になるのだと考える。

(2)散文でもこのようなことがあり得るのかどうかについては稿を改めたい。

(続く)
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# by trentonrowley | 2015-01-20 22:35
2015年 01月 20日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (13)

骨格と内臓きみとぼくと猫今は宇宙に守られている/東直子「効能」『短歌研究』2015年1月号

この歌は「効能」と題された一連のなかの一首であるが、どう解釈したらよいのか良く分からない。特に「骨格と内臓」の部分が他の部分とどう繋がるのかが良く分からない。

「きみと僕と猫」については以下のように解釈した。
「僕」については作者が自分のことを「僕」と呼んでいるのではないと思う。最近の歌には女性作者が自分または自分の分身を「僕」と呼んでいる歌が見られるが、そのような「僕」ではないと思うのだ。同じように、誰か具体的な相手を「きみ」と呼んでいるのでもないと思う。「きみと僕と猫」で、ある特性を持った人たちを表わしているように思う。自分たちを「きみ」や「僕」と呼ぶある層の人たちで、猫を飼っている、あるいは猫が好きと思われる。「きみと僕と猫」の彼ら独自の世界を持っており、もちろんコンビニに買い物にも行けば電車にも乗るのだが、自分たちの世界の外は生存のための環境ではあってもそれ以上の意味を持たない。言わば透明なカプセルに囲われて生きているのだ。広大な宇宙に浮かぶ島宇宙のように。
「宇宙に守られている」とは以上のようなことを意味しているように思う。
問題は「骨格と内臓」であるが、人間の肉体を意味しているのかも知れない。上に述べたような「きみと僕と猫」も単に精神的に存在している訳ではなく、肉体を持ち食べて寝て排泄し生殖する生物としての存在であることを示しているのだろう。
「今は」と言っているのは、そのような生物としての存在であるが故に、いずれ死を迎えることになることを暗示しているのだろう。

このように解釈すると、「きみ」は作者あるいは作者の分身にとっての「きみ」ではなく、「僕」も作者あるいは作者の分身のことではないのであるから、この歌の「きみ」を、今まで引用し検討してきた歌と同じように分類するのは意味がないと思う。今までは「きみ」や「あなた」を次の三種に分類してきた。
(1)名詞型、(2)中間型(☆型)、(3)代名詞型(語りかけ型)
この東直子の歌の「きみ」はこれら三種のどれにも該当せず、(4)特異型とでも言うべき新たな種類と考えるのが適切であると思う。

(続く)
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# by trentonrowley | 2015-01-20 22:34
2015年 01月 18日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (12)

☆カニクリームソースのパスタの渡り蟹あなたの皿からわたしを睨む/西澤孝子 日本経済新聞「歌壇」穂村弘選2015年1月18日

この歌の「あなた」と「わたし」の関係はどういうものか分からないが、夫婦あるいは親しい男女と考えて良いだろう。多分ふたりはレストランの同じテーブルにつきパスタを食べているのだろう。

この歌は私が☆型と考えるものの典型的な例に思える。
この歌は「あなた」に語りかけている形式を取っていないにも拘わらず辞書では代名詞とされている「あなた」が使われている。広辞苑では「目上や同輩である相手を敬って指す語。現今は敬意の度合が減じている」という項と「夫婦間で妻が夫を呼ぶ語」という項がある。
この歌でも作者の「あなた」に対する意識と歌全体の表出の方向はズレている。

まなうらに君はひかりを閉じ込めるちかいほうたるとおいほうたる/江戸雪『声を聞きたい』

前回引用した江戸雪のこの歌の「君」は名詞であろうと考えた。上の西澤孝子の歌の「あなた」を代名詞と考えたこととの違いはどこにあるだろうか。
その違いの一つは、辞書に「あなた」には代名詞の項目があるが名詞としての項目がないのに対して、「君」には代名詞としての項目に加え名詞としての項目があり、その名詞の説明に江戸雪の歌の「君」が当てはまると考えたことである。
そのことよりも大きく違うと考えるのは、江戸雪の歌の「君」は誰のことなのか分からず、蛍を一緒に見ている場面と取れるがその状況が明確でない。作者と「君」との空間的・時間的・立場的な位置関係が曖昧である。これに対し西澤孝子のこの歌では作者と「あなた」の位置関係は明確であり、「あなた」と呼ぶことのできる状況にある。

(続く)
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# by trentonrowley | 2015-01-18 12:14
2015年 01月 17日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (11)

まなうらに君はひかりを閉じ込めるちかいほうたるとおいほうたる/江戸雪『声を聞きたい』


渡辺松男の『きなげつの魚』から引用した歌の「きみ」や「君」は作者の亡くなった妻のことであることはほぼ確実である。
それに対し、この江戸雪の歌の「君」は誰のことなのか分からない。前後の歌やあとがきを見てもそれらしいヒントは見つけられない。漢字で「君」と表記していることから考えると、夫、恋人あるいは息子など親しい男性のように思える。この歌は「鳥取」と題した一連の歌の中の一首なので、鳥取に関連した人なのかも知れない。

この歌を読むと嫉妬に近い感情が湧いてくる。嫉妬というとあまりに生な感じがするので言い換えれば、作者と「君」の世界から読者である私がはじき出されているように感じるのだ。女性の作者の歌にしばしば作者の夫が登場することがあるが、そのような歌を読んでもこの歌を読んだときのような感情は湧いてこない。それは登場する夫が作者と暮らしを共にしている人、共同生活者として現れてくるからだと思う。それに対しこの歌の作者と君の関係は精神的な結びつきのように感じられるのである。

この歌は「君」に呼びかけ、語りかけている歌とは思えない。上に述べたことを併せて考えると、この歌の「君」は樋口一葉の歌の「君」と同じく、「女から男を、親しみをこめて言う語」としての名詞であると思われる。
(続く)
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# by trentonrowley | 2015-01-17 22:31
2015年 01月 16日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (10)

☆世にたつたいちまいの空ひるがへり黒あげはみゆ君なきわれに/渡辺松男『きなげつの魚』
☆いまははやなにもなき地図みづうみを雪のふる日に君の摘みてし

上の二首の「君」は前回引用した二首の「きみ」と同様に作者の亡くなった妻のことだろう。(以下、前回のコメントと重複するところがあるが、再度コメントする。)

前回の二首と同じく、作者の心の中の「君(=亡き妻)」に対する意識の方向性と歌としての自己表出の方向性にはズレがあると感じる。別の言い方をすると歌としてねじれがあるように感じるのだ。
そのためか、代名詞であるはずの「君」が名詞化し、「私にとって特別な人・私の大事な人」というような特別の意味を持っているように思えるのである。
それはあたかも「わたしの彼」とか「ぼくの彼女」というときの「彼」や「彼女」が三人称代名詞ではなく「愛人・恋人」という意味を持った名詞であるのと同様なことのように感じられるのである。

このように代名詞の「きみ」「君」「あなた」が特別な意味を持って名詞化するように感じられるのは、短歌に特有のことであり日記や小説のような散文では起こらないことと思えるのであるが、そのことの検証は後日の課題として取っておくことにする。
(続く)
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# by trentonrowley | 2015-01-16 22:43
2015年 01月 16日

短歌での「きみ」・「あなた」・「おまへ」・「汝」の使われ方 (9)

☆あしあとのなんまん億を解放しなきがらとなりしきみのあなうら/渡辺松男『きなげつの魚』
☆わがいまのすべてはきみの死後なればみる花々にかげひとつなし

あとがきによれば作者は妻を亡くしたようだ。これらの歌の「きみ」は妻のことだろう。
これらの歌に☆をつけているのは、妻を「きみ」と呼んでいるのだから、代名詞なのだろうが、これらの歌は妻に語りかけ、呼びかけている歌ではないように思えるのだ。これらの歌の「きみ」を妻と置き換えても、少なくとも意味の上では元の歌と同じように解釈することができる。(歌の価値としては同じと言えないが。)

作者の心のなかでは妻に向かって「きみ」と呼んでいるのではあるが、一首の歌としては妻への語りかけの形を取らず、作者の心に浮かんだこと、作者の感慨を独白の形で読者に向けて発表している作品だと思えるのだ。
読者側から考えると、読者自身のことが「きみ」と呼ばれているわけではなく、読者にとっては第三者である作者の妻が「きみ」と呼ばれているのだ。そのため、「きみ」は代名詞ではなく、名詞化しているように感じるのだ。
このような作者の「きみ」へと向かう視線と、歌として読者に向けられる意識とがずれているように感じるため、これらの歌を中間型(☆型)と考えるのだ。

これらの歌は、亡き妻に向かって語りかけている歌だという読み方もあるかと思うが、私には次のような明確な語りかけの歌とは異なるように思えるのだ。

あの時の声はあなたにかえします風にゆれいるエノコログサよ/江戸雪『声を聞きたい』

このように考えてくると、そもそも「きみ」や「あなた」が代名詞かどうかという問題の立て方が間違っていたのかも知れないと思えてくる。同じく代名詞として使われているが、一首の中での使われ方、位置付けが異なっていると考えたほうが良いのかも知れない。
(続く)
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# by trentonrowley | 2015-01-16 11:34